当社の歴史

写真で見る(株)翠雲堂本店の歴史

■1946年(昭和21年)


5月20日、妻キヨと上京。五雲堂支店再開。
しかし、店舗一部を空襲被災者へ貸したため店は8.75坪に。

10月15日、菊屋橋に新店舗工事開始。

前年3月10日の東京大空襲被災の地。浅草通りの菊屋橋から、浅草橋駅ホームが見える。
店の後ろの土地では、隣組の人達と、ナス、トマト、キュウリなどを作った。

■1947年(昭和22年)


新店舗1月末日完成。翠雲堂として開業。

3月10日、長男・肇 生まれる。

大空襲焼跡、2年後の様子で、抱っこされているのは長男、肇。
後ろの物置の屋根は、ルーヒングという黒い紙。トタンなどは手に入らなかった。

7月、株式会社 翠雲堂設立。初代社長、中川善作。

設立当時の翠雲堂

この当時、進駐軍兵士と店頭で物々交換がされた。 交換品は、店の商品に対して、タバコ(ラッキーストライク、キャメル、フィリップモーリス)、チョコレート、化粧品、石鹸、アメリカ兵の毛布やシャツ等。
物のない時代であり、生活の足しになった。

9月15日、キャサリン台風被害が関東中心に、東日本、北海道に及ぶ。
以降、仏壇が売れなくなる。
急遽。仏具類を電気スタンドに改造して進駐軍兵士向けに売り出したところ大受けし、関東帝国ホテルにも出荷。
これにより急場をしのいだ。

ローソク立てなどの仏具を電気スタンドに改造。
(カサつきで、すべて金色仕上げ)

世界の動き

1947 5月3日、日本国憲法施行
1947 アメリカで国防総省(ペンタゴン)と中央情報局(CIA)が正式に発足
1947 10月30日、GATT(関税貿易一般協定)調印

■1948年(昭和23年)


前年のガット調印(関税貿易一般協定)により貿易再開となり、ハワイへ塗仏壇を輸出する。(太平洋貿易・日本出版貿易の2社と交易)
この時、1ドル=360円。


貿易再開。看板に「EXPORT TRADE」と入れる

6月、稲荷町店開設。(下谷)


池田屋から買った店舗で稲荷町店を開店

世界の動き

1948 帝銀事件
1948 世界保健機関(WHO)設立。
1948 日本の祝日が制定される。

■1950年(昭和25年)


6月、本願寺前店開店。


当時の浅草通り。カメラ店の場所に本願寺前店を開く。

世界の動き

1950 「年齢のとなえ方に関する法律」施行。年齢が満年齢で数えられるようになる。
1950 警視庁に初のパトロールカーが導入される
1952 初の公衆電話が設置される
1952 手塚治虫「鉄腕アトム」を連載開始。

■1953年(昭和28年)


稲荷町新店開店。

深川不動様に賽銭箱(1丈(じょう))を納める。
1丈は、10尺(=3.0303…m)

世界の動き

1953 奄美諸島が日本に返還。

■1954年(昭和29年)


上野寛永寺様一山に納品。