当社の歴史

写真で見る(株)翠雲堂本店の歴史

■1955年(昭和30年)



昭和30年当時の浅草通り


昭和30年、鳥越神社祭の子供みこしの子供たち。普段着のシャツズボンのままで、お揃いはやっと手拭いだけが作られた年。

世界の動き

1955 保守合同により、自由民主党が誕生。
1956 経済白書で、「もはや戦後ではない」と新たな経済目標を提示。
日本が国際連合に加盟

■1957年(昭和32年)



この年の鳥越祭に初めて町会お揃いの半纏と浴衣ができる。中央、山口肇(現社長)

上野公園不忍池の弁天様へ露盤を制作納入。

露盤(ろばん)
方形屋根の頂部をおさえる方形の台。宝珠・伏鉢などを受け、相輪の基盤となる。古くは相輪(仏塔の最上部にある装飾部分)全体を呼んだ。

露盤の仕上がりが良かったため、寛永寺様より石灯籠を賜る。
住居の庭には不似合いなほどの立派な灯籠が据えられた。

本社ビル着工。

地鎮祭の導師、駒込吉祥寺の岩本勝俊様


本社ビル基礎工事。当時は長いセメント製の杭をドスンドスンと打ち込むやり方なので、ご近所に大変な迷惑をおかけしてしまった。 また、住宅金融公庫からの借金をしての着工ゆえ、月々の返済が心配のタネ。

本社ビル上棟。

当店を支えてくださった仏壇職人の親方の皆さん。
左柱前 小田木恒蔵様
後列右から二人目 阿藤要様
後列左から三人目 石井康夫様

祝上棟に贈られたタライには大鯛その他海の幸が職人方の真心と共に入っておりました。 このタライは彼岸中日に社員に食べさせる五目寿司作りの飯ギリとして現在も使っております。 そのたびに当時の苦しさ嬉しさがよみがえります。
お三方はいずれも物故されましたが、小田木恒蔵様の息子邦衛様は現在も仏壇を制作しております。 阿藤要様の息子の嫁テルヨ様は、現在お寺様用の縫物を受け持っております。(山口キヨ記)

世界の動き

1957 日本の南極越冬隊が南極大陸初上陸
立教大学の長嶋茂雄が巨人と入団契約する。
1958 日清食品がチキンラーメンを発売。世界初のインスタントラーメン。
東京タワー完成
1959 皇太子昭仁親王と正田美智子さんが結婚。祝賀パレードに53万人がつめかける。
第1回日本レコード大賞に水原弘の「黒い花びら」。
1960 都営浅草線開通
チリ地震。翌日、18,000Km離れた日本でも津波の大被害。
60年安保闘争が激化。戦後最大の国民行動に発展。
1961 ソ連、人類初の有人衛星が地球一周に成功。ガガーリン、「地球は青かった」。
坂本九が歌う「上を向いてあるこう」が大ヒット。
1963 ケネディ米大統領ダラスで暗殺。

■1964年(昭和39年)


1月 松戸工場開設。松戸市稔台8-6-1 307坪

5月 本店増築5階建てに。

増築して初めてエレベーターがついた。 それまで4階までかけ上り、かけ下りていた社員達が大喜びする。


右 社員中村三郎
昭和22年より在職。翠雲堂の礎となって働いていただきました。本当に有難うございました。 43年12月に病没。翠雲堂物故者の一人目です。(山口キヨ記)

増築祝会場にて
山口之徳、キヨ


お仏壇のお客様のご愛顧により、社業も発展し、有名ご寺院様へのお出入りが増える。昭和29年より独自の商報(現在のご寺院様向け仏具カタログ『翠雲堂年報』)を刊行開始する。

世界の動き

1964 東海道新幹線開通
東京オリンピック開催
1965 富士山頂に気象レーダー完成 (当時、世界最高地点)
1966 ビートルズ来日。日本武道館にて公演。
1967 日本の人口1億人突破
1968 東京都府中市で三億円強奪事件発生。
小笠原諸島の日本復帰。
1969 アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たす。
1970 大阪万博開催。183日間で入場者が6400万人。
1971 ニクソン/ドルショックで、金とドルの交換停止。
1972 札幌冬季オリンピック開催
沖縄返還
日中国交正常化。これを記念して、上野動物園にパンダのランラン、カンカンが来園。

■2017年(平成29年)


4月 株式会社 翠雲堂を分社化する。

・社寺建築部門 翠雲堂 (千葉県松戸市に社屋移転)
・仏壇仏具部門 翠雲堂本店

寺院様、一般在家様の窓口を分ける事で、より良いサービスを提供できるよう努力して参ります。